年金収入だけで人生100年を乗り切るのは、かなり難しいことになる。だからこそ、生活保護受給者の半数以上が高齢者が占めるようになっているのだ。今後、私たちは富裕層でもない限り、「死ぬまで働く」ことを強いられることになる。しかし、誰が考えても分かることだが、いくら医学が発達したとしても、高齢になればなるほど気力も体力も衰えていく。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)
年金だけでは生存不能。人生後半の健康問題は「貧困」に直結する
人々が健康に目覚める時代になっている
アメリカ人はハンバーガーが大好物なのだが、そのアメリカで「ビヨンド・バーガー」や「インポッシブル・バーガー」という「限りなく肉の味がするが肉ではない」という人工肉・植物肉が受け入れられようとしている。
また、世界的な潮流として、ただの菜食主義ではなく、ヴィーガンのような絶対的菜食主義をライフスタイルに取り入れる人たちも増えている。
さらに、人々は今までのように砂糖漬けの炭酸飲料を飲まなくなっている。
また、身体に悪いタバコが避けられるようになっていっただけでなく、最近はビールすらも健康に悪いとして避ける若年層が増えており消費量が減っている。
つまり、今の人々は健康であることに目覚め、好きなものを飲み食いするよりも、身体に良いことをする方向にシフトしているというのが分かる。
欲望を貪欲に追求する社会ではなく、健康を追求する社会になっているのだ。
医学の目覚ましい進化
さらに、医学も進化する一方だ。
「がん」は、どこの国でも死亡原因のトップになっているものだが、がんの治療は早期発見・早期治療が肝心だ。
この「がん」の発見も人工知能を取り入れる試みが進んでいる。画像データの解析を人工知能でより正確かつ効率的に検出できるような体制に医療現場が変わりつつあるのだ。
この人工知能のレベルは絶えず向上し続けているので、熟練した医師を超えるレベルでの検出も可能になっていく。
がんだけではない。糖尿病性腎臓病や認知症なども人工知能で発見したり、進行を正確に予測できるようになりつつある。
また、健康相談に関しても、利用者がコンピュータにその症状を伝えると、その症状を人工知能が分析して回答するようなシステムすらもすでに稼働している。
ウェアラブルの健康器具もどんどん発達して高度化しており、たとえばアップル・ウォッチなどは心拍数の異常を察知したり、転倒したユーザーを救ったりする事例が多く挙げられている。
寿命100歳は「当たり前」に
人々が歴史上かつてないほど健康に気を使うようになり、医学が発達し、さらに病気に対する予防や防御も発達するようになった。
その結果、現代人の寿命は、地球温暖化などでの地球環境の悪化や、添加物の大量混入による食品の質の低下や、グローバル化による格差の広がりなどの社会環境の厳しさが増しているにも関わらず、延び続ける一方となっている。
そして、私たちは知らずして「寿命100歳は当たり前」の人生100年時代に足を踏み入れるようになっているのである。
これから生まれ育つ子供たちは、人生100年どころか、もっと長生きする可能性もある。
かつては人生は50年から60年がせいぜいだった。その時代から見ると、相当な長寿時代になっているというのが分かるはずだ。
政府の大誤算で年金制度は存続の危機へ
逆に言うと、健康に配慮する社会環境と、的確な診断と治療によって、「さっさと死にたい」と思っても「死ねない」社会に入ったとも言える。
深刻な事故や事件や災害に巻き込まれない限り、嫌でも長生きしてしまうということだ。
これは平均寿命が60歳から70歳として組み立てていた政府の年金制度を揺るがす事態でもあった。
政府から見ると、国民が60歳で退職して年金生活に入ったら、人生100年時代だとその後の40年は延々と年金を支払わなければならないことを意味する。
そして、さらに悪いことが重なっている。
結局のところ「死ぬまで働け」
今の日本の年金制度は、現役世代が納めた保険料を高齢者に支給する「賦課方式」になっているのだが、少子高齢化が放置されてしまったために、現役世代が減っているのに年金を受給する高齢者は増える一方になっているのである。
結局のところ、政府は「ない袖は振れない」わけで、年金受給年齢はどんどん引き上げられ、さらに年金が引き下げられていくのは自明の理でもある。
結局のところ、「死ぬまで働け」というのが政府の解決方法となる。
この「死ぬまで働け」を口当たりの良い言葉で言い換えたのが「生涯現役」というものだ。
100歳まで健康でいられる保証はどこにもない
年金収入だけで人生100年を乗り切るのは、かなり難しいことになる。
だからこそ、生活保護受給者の半数以上を高齢者が占めるようになっているのだ。
今後、私たちは富裕層でもない限り、「死ぬまで働く」ことを強いられることになる。
しかし、誰が考えても分かることだが、いくら医学が発達したとしても、高齢になればなるほど気力も体力も衰えていく。
仮に気力が残っていても、肉体の老化は進行する一方なので、いくら慎重に長生きしたとしても、100歳になるまでのどこかで実質的に働けない時がくる。
「寿命」と「健康寿命」は違うのである。
人生後半の健康問題は「貧困」に直結する
健康意識と医療は、寿命も健康寿命も延ばしてくれるが、先に尽きるのは健康寿命であると言える。
仮に人生の後半で健康寿命が尽きたら、その後は医療に生かされているだけの、貧困の中でただぼんやりと死を待っているだけの人生が待っている。
『厚生科学審議会地域保健健康増進栄養部会・次期国民健康づくり運動プラン策定専門委員会』が出した資料によると、日本人の健康寿命は「男性70.42歳」「女性73.62歳」ということになっている。
70代の前半で、日本人の多くは日常生活に制限のある不健康な期間に入っていく。
しかし、暴飲暴食や無鉄砲な生活をしていたら、70代どころか、50代や60代ですでに半病人状態でその後の人生を苦しみながら生きることになる。
「生涯現役」は健康であることが前提となっているのだ。
「健康」への投資が必要になる
そう考えると、老後を十分に支えるための大きな資産がないのであれば、人生100年時代の後半を左右するのは、いかに健康寿命を保つかということにかかっているのに気づくはずだ。
普通にしていれば健康寿命を失っても100歳近くまで「生かされてしまう」のが今の時代なのであれば、できる限り健康を損ねないために「健康」への投資が必要となってくるのは当然のことだ。
人生後半の健康問題は、貧困問題に直結する。